くにお
 
 
   
 
  りき   しんじ   みすず   さぶ  
 
 
 
   
 
                 
 

熱血硬派くにおくん

販売:タイトー 開発:テクノス

 アーケード(86年5月)

ファミコン(87年4月17日

  プレイステーション22006年1月26日  
ダブルドラゴンをベルトゲーの元祖とするなら、これはいわゆるプロトタイプといったところで、奥行きのあるステージや掴み技、投げ技など、後にベルトスクロール系の基礎となる要素はここから始まった。その後ドッジボールやサッカーといったスピンオフ以外にもコンシューマー機をメインにダウンタウン熱血物語などでダブルドラゴンと並んで、テクノスの看板シリーズとなった。しかし96年に日本では未発売に終わってしまったネオジオ版『くにおの熱血闘球(ドッジボール)伝説』を最後に、生みの親であるテクノスと共にシリーズは終焉を迎えた。
PS2のレトロゲーシリーズ『オレたちゲーセン族』にて、スピンオフ作品の「熱血高校ドッジボール部」と共に発売されている。

↓USA版↓

Mr.K
 
 
   
 
  JACK   JOEL   KIM   SABU  
 
 
 
   
 
                 
 

RENEGADE

販売:TAITO USA 開発:テクノス

 海外アーケード(86年5月)

N.E.S.(88年1月) 海外版ファミコン

 

セガマスターシステム(93年)海外版

 

当時のアメリカは現在と比べると、まだ日本の文化やポップカルチャーに対して遥かに閉鎖的だったため、日本的な要素が強いゲームはカットされたり変更されたりだのということはたいして珍しくもなかったが、ここまでグラフィックが見る影も無く描き変えられた例は割りと珍しい(中にはもっと酷いのもあるにはあるが)。ストーリーも日本版の『マブダチの仇を取る』という熱血硬派なものから『ガールフレンドを助ける』というヒジョーに軟派なものになっており、最初は日本版と違って主人公やボスキャラ達に名前も設定されておらず、ゲーム中は『Player』や『Boss』としか表記されていなかったが、N.E.S.(海外のファミコン)に移植されて初めてキャラに名前が付けられた。また日本よりも海外での需要が高かったセガのマスターシステムにも移植された。しかしその後、日本では『くにおシリーズ』として大ブレイクしてしまったため、勝手にゲーム内容を大幅に変更した事でテクノスは、海外の和ゲーファン達の多く(と一部の海外在住の日本人)からずいぶんと顰蹙を買ってしまったのである。