―ゲン・フー 拳に迷い無し
―
|
うなりをあげて突き出された拳を体を沈めてかわすと、彼は瞬時に踏み込んで若者の間合いに入った。
そして体勢の崩れた若者のあごめがけて一気に右腕を振り上げる。強烈な一撃をうけて若者の体が空に浮いた。すかさずその体めがけて両の拳を突き出す―。
豪放、勇猛 ―心意六合拳
の使い手である彼の技は力強い言葉で彩られる。あらゆる格闘家を倒してきたその名は今や全土に知れ渡っていた。
噂を聞きつけ彼に挑戦する者は数多かったが、そのほとんどが全身からみなぎる迫力に圧倒され勝負から逃げ出した。
それでも彼を倒し己の名を上げようとする格闘家は後を絶たなかった。
そして今、彼に立ち向かう若者もその一人だった。
―まだ、若すぎる。 必死の形相で技を繰り出す若者の動きを見極めながら彼は思った。拳に殺意がこめられている。これでは自分を倒すことなどできん・・・。
一瞬の隙を見て若者の鋭い突きがが目を襲った。
その手を払うが早いか、彼は左手で自分の右手首をつかみ、小指から手首の部分で引き寄せるように若者の後頭部を打った。
そのまま体を沈めつつ若者を引き倒し、顔を地面に打ちつける。十字裏横(じゅうじかおう)―心意拳の激烈な一打は一瞬にして辺りを血の色に染めた。低い叫びをもらし彼が若者の顔をのぞき込んだ時、すでにその息は止まっていた・・・。
ふいに夢からさめると、ゲン・フーは深いため息をついた。
また、あの時の夢を見た。
長い年月も彼を忌まわしい記憶から未だ解放してはくれない。病室の壁を背に知らぬ間に眠り込んでいたようだ。
起き上がって横を見やると、孫娘メイ・リン
が体中に細い管をつなげられベッドの上でかすかな寝息をたてている。
自動車事故に巻き込まれ両親は死亡、このメイ・リンだけが奇跡的に助かった。しかし数カ月の治療もむなしく、メイ・リンは日に日に容態を悪化させていた。もっと設備の良い病院でより効果のある治療が必要である。
だが唯一の身寄りであるゲン・フーには、それに要する多額の金銭を用意する事など到底不可能だった・・・。
「失礼、よろしいかな」
扉をノックして、紺のスーツを着込んだ男が入って来る。
「もう来るなと何度言わせるのじゃ。わしはもう闘わん」
「そうおっしゃらずに、もう一度考え直してはくださいませんか」
男は手にした封筒からパンフレットを取り出すとゲン・フーに差し出した。「世界一の異種格闘技大会」と書かれた表紙の文字が目に入る。ゲン・フーは男を押しのけ、メイ・リンのベッドに歩み寄った。
「あなたのような高名な格闘家が出場すれば、大会はより盛り上がります。それに、莫大な賞金もきっとあなたのものに―」
ゲン・フーの足が止まり、口からうめきが漏れる。そう、その大金こそが今まさに必要なのだ。しかし・・・。
「あなたの拳が、今度は命を救うのです」
その言葉とともにゲン・フーの記憶がまた時をさかのぼる。
あの時本当に「若すぎた」のは自分のほうだった。己の力への過信こそが拳に殺意を与えたのだ。それ故に若き命を奪ってしまった―。
混沌とした記憶の中をさまようゲン・フーには、ベッドの上のメイ・リンが必死に彼に語りかけているような気がした。おじいちゃん、おじいちゃん・・・。
―己の拳で本当に若き命を救う事ができるのか―
ゲン・フーは突然鋭い彷徨をあげると、男の方に振り向いた。拳を強く握りしめる。瞳に格闘家の光がよみがえる。そして、ゆっくりと踏み出す。
己の技の封印を解き、ゲン・フーは再び闘いの中へ赴くのだった―。